院長コラム
美人画家 木谷千種のこと(前編)
2023年03月17日
先月に散歩がてら池田市の逸翁美術館で開催中の、絵画で『女子会!』 ー描かれた女性たちーに行ってみました。阪急グループの創始者 小林一三翁が収集した絵画や絵巻物を中心に、美しく着かざった女性達の絢爛郷かな世界が展開します。絢爛豪華な絵巻物の貴人や中世の御伽草子のヒロイン、江戸初期の菱川師宣の浮世美人もよいのですが、私の好きなのは大正から昭和にかけて描かれた近代「美人画」というジャンルです。以前のコラム(美人画の系譜 2021年1月)に登場した池田蕉園やその弟子で大阪出身の木谷千種の作品には、伝統的で格調の高い上村松園とは ひと味違った近代性(ちょっと表現は悪いですが少女漫画のような感じ)がみられます。
木谷千種「舞姫図」(大正5年)着物の色合いも美しく、髪や睫毛の表現も細かい。この大正美人は、少女漫画から飛び出したような愛らしさを感じさせる。画家自身もモデルと見紛うばかりの才識兼備の佳人だ。(wikipediaより)
木谷(吉岡)千種は、1895年(明治28年)の生まれ、大阪の堂島の裕福な商家のお嬢さんです。12歳でシアトルに遊学して、二年間洋画を学び、帰国後は女学校に通いながら日本画の勉強もしました。千草の運命を変えたのは、1909(明治42年)高等女学校在学中の大火事(天満焼け)です。東京に疎開した千草は、以前このコラムでも紹介した池田蕉園に師事します。二人の作品には、無垢な少女のもつ清純さや儚さが共通しています。当時23歳の若き師 蕉園は、失恋の傷からも立ち直り、数多くの意欲的な作品を発表していました。裕福な家庭に育って最高の教育を受け、何一つ不自由せず画学のみに打ち込んで才能を開花しつつある千草に、華族の出身だった蕉園はティーンエージの自身を重ねた事でしょう。火事で実家を失うという悲劇も、自分の悲劇(婚約者の失踪)と重なったかもしれません。この子弟関係に、姉妹のような共感を感じるのは、私だけではないでしょう。千草は 創設間もない宝塚歌劇にもちょっと関係があるのですが、その事は次章で。
大正4年(1915) 文展に初入選した「針供養」。豆腐に針をさして供養し謝恩の意をあらわすという年末の行事を描いたもの。左の写真は、この作品のモデルとなったのは大阪の花街宗右衛門町(南地)の富田屋の芸妓小八千代。(池田歴史民族博物館所蔵)
〒666-0014 兵庫県川西市小戸1丁目7-13
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