院長コラム

美人画家 木谷千種のこと(後編)

2023年03月17日

東京の池田蕉園の元で、二年間 日本画の基本を学んだ千草は、ふたたび大阪に戻ってきました。この時、独身の千草が下宿していたのは、叔父にあたる実業家 吉岡重三郎が住んでいた池田市の室町地区でした。ここは明治の終わり頃に、当時、人口増加が著しかった大阪市内の狭い住居の暮らしを解消し、「郊外に住宅地を新たに作り、その居住者を市内へ電車で運ぶ」という、小林一三のコンセプトに従って阪急電鉄が開発分譲した日本初のベッドタウンです。今も瀟洒な住宅が建ち並ぶ室町地区は、拙宅から猪名川を挟んで対岸に当たる高級自由宅地です。(下図ともにhttps://www.hankyu.co.jp/より)

 

(左)明治の終わり頃の、室町地区。呉羽神社の林をのぞくと畑が広がるのどかな郊外風景。(右)宝塚少女歌劇の理事長も務めた実業家 吉岡重三郎。千草には、叔父にあたる。

吉岡重三郎は、明治42年、箕面有馬電気軌道に入社し、小林一三を助けて、宝塚少女歌劇や全国高等学校野球選手権大会の創立に尽力した人物です。大正5年正月、室町の重三郎の家で、当時大阪を代表する女性画家の島成園・岡本更園・生田花朝と千種が、タカラジェンヌたちとにぎやかな新年会を催したと当時の新聞は伝えています。

 

世界に冠たる宝塚歌劇も、初めは湯治客への余興の様なものだった。左写真は歌劇「ドンブラコ」舞台写真(大正14年)(宝塚歌劇公式HPより)右は、千草が中心となって結成した「女四人の会」、左から岡本更園、木谷千種、島成園、松本華羊。当時の美人画の女流画家は、自らも妙齢の美人であった。(夜噺骨董談義のブログより)

千草の代表作「浄瑠璃舟」。船上で晴れ着を着たおいとさん(良家のお嬢さん)は、どことなく師の蕉園を彷彿とさせる。千草は 生涯、失われつつある上方文化に暖かい目をむけ続けた。

 

 

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